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2024/03/19 18:49 |
VR技術を認知症患者の介護に役立てられないかという話。

今日ラジオを聴きながら考えたことを書くよ。


人口比的に若者の労働力が介護にとられることは、今のこの日本社会では終末だと思われる。
なので最低限の介護者で最大限の効力を得られるのが好ましい。
そのためにパワーアームなどの肉体的な強化が介護の世界で語られている。


認知症患者の問題点
>徘徊による交通事故死。
>家に帰れず凍死、餓死。


>車の運転での交通事故
>>“高速道路の逆走”の多くが認知症患者の運転によるもの。


>介護者のストレス、精神的疲労。
>介護者を雇う際の支出。


解決策


(認知症患者に常にヘッドマウントディスプレイ(HMD)を着けさせており、発信機も付いているという前提のお話でございます)


@俳諧による交通事故死。
@家に帰れず凍死、餓死。


>徘徊中、近所を歩くだけで色んな場所を徘徊しているような映像を投影。
手足や脳を動かした方が認知症の悪化が遅くなる為、歩かないよりは歩いた方がよいかと思う。


場所によっては「安心して徘徊できる街を」をスローガンに、
徘徊者を邪魔せずに“誰がいつ何処を通過したか”を近隣住民で把握しあい、声賭けしあう街づくりをしているという話を聞きました。
ただそのシステムは人の入れ替えが激しく、近隣住民の顔を把握できてない都会では難しいと思う。


また、認知症患者は知らない家、土地だとストレスで認知症が悪化するという話も聞いたので、
例えば配偶者との死別及び本人の認知症発祥により実家を離れた人などに、
実家やその近所の映像を投影することでストレスを緩和できないかという説を提唱します。要実験でございます。
また、


@介護者のストレス、精神的疲労。
@介護者を雇う際の支出。


>介護者を患者の親や子供に変換して映像を投影。


認知症患者は幼児化するケースなどがあり、その場合自分の子供や親以外を忘れることがあるため、
介護者をより患者にとってストレスの少ない人間に変換して投影することにより、言うことを聞きやすくさせる効果が期待できるのではないか説を思いつきました。
患者の子供でも、子供の加齢によって患者のもっとも好きだった時代の子供の姿でなくなることで患者にとってはストレスになる可能性があるので、
投影する人間はその本人の逆行も含みます。


@車の運転での交通事故
@@“高速道路の逆走”の多くが認知症患者の運転によるもの。


>レーシングゲーム的な。


運転席だけ形を再現した奴や廃車の運転席が本人の車であるかのように投影させ、また、本物の自家用車は見えなくさせることで運転を阻止。
レーシングゲーム的な映像投影で本人のドライブ意欲を満たす。
投影場所は本人にとってストレスの少ない、車で走りなれた場所を走ってる感じにさせることで安心させる。
グーグルマップ的な奴の進化版みたいな3D映像をいつか作れたら、何処スタートで何処に向かっても対応できるよね。
徘徊の部分もそうか。


そんな感じの話を考えました。
10数年では無理だろうけども。
実験とか技術革新を繰り返しながら近づけたらちょっとはよくなるんじゃないかな説。説?
技術的にできたら架空のオーバーテクノロジー未来だから可能だろう。
技術的にってゆーか金と時間さえかけられればオーバーテクノロジーでもないけど。
金と時間の投入の最適な対象とも言わないですけど。


最後に、


>虚構の映像を見せ続けることで患者の人権を侵害しているのではないかという話。


嘘も最後まで突き通し、本人にばれる事が無ければの仮定で言えば、
ストレスのある現実よりよりストレスの少ない虚構の方が、ストレスの少ない人生が送れるのではないかと考えます。
また、非認知症の介護者の、ストレスによる殺害・心中・自殺のリスクを軽減することの方が、患者への嘘よりも優先されるべきだと考えます。
…べきだと思います。


おしまい。

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2015/01/08 02:08 | Comments(0) | 真面目なお話・もしくはアイデア

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